Mag-log in「覚悟、だと?」 健ちゃんが吐き捨てるように告げながら笑う。その笑みは嘲りに満ちているのに、どこか無理に作ったもののようだった。「誰かに頼ってばっかだった奏の軟弱なそんな考え、簡単に折れるに決まってる。俺が不安要素を与えれば、怖くて仕方なくなるさ」 「だったら健ちゃん、試してみればいいよ」 俺は一歩踏み出す。氷室が隣に並び、その気配が心を支える。だから続けて、強い言葉を発することができた。「いろんなことをぐだぐだ考えて、一度心が折れた俺だからこそ、もう二度と折れない。俺は自分の弱さも迷いも全部知ってる。だから、もう怖くない!」 加藤くんの口元が引きつる。余裕を装おうとした笑みが、声にならずに凍りついている。「……おまえ、本当に奏か? ただの臆病者だったハズだろ」 「そうだよ。俺は臆病者だった。でも今は違う」 言い切った瞬間、健ちゃんの眼差しに少しだけ揺らぎが走った。「蓮を恨んで落とし込むために、俺を利用しようとしても無駄だよ。俺は、自分で選んで氷室と並んでる」 明確な理由を突きつけると、健ちゃんの表情が強張る。追い詰めていたはずの相手に、逆に追い込まれている――その事実を、彼自身が気づいてしまったのだろう。 氷室が低く重ねる。「もう終わりだ、神崎。おまえの言葉は奏には届かない」 静寂が支配する。健ちゃんはしばらく俺を睨みつけ、それから舌打ちした。「……チッ、おもしろくねえな」 加藤くんがわざとらしく肩を竦め、俺たちから視線を逸らす。「あれあれ神崎先輩、もうヤル気がなくなった感じ?」 「だってさ……」 「あーあ、もう少し粘ってくれると思っていたのにな。ムダにがんばる神崎先輩が、優秀な氷室先輩をやりこめるところを、間近で見たかったのに」 やれやれといった感じで告げた加藤くんの言葉に、俺たちふたりは唖然とした。「加藤、君は神崎の手駒じゃなかったのか?」 「俺が手駒? うひひっ、違うよ」 その笑みは、これまで見たどんな挑発よりも冷たかった。加藤くんはポケットからスマホを取り出すと、画面を操作して俺たちに見せつける。 そこに映っていたのは――【氷室】と書かれた上履き入れから上靴を取り出し、その中に画鋲を仕込もうとしている健ちゃんの姿だった。 一瞬で、その場の空気が凍りつく。息が詰まり、鼓動の音すら遠のく。氷室の肩がぶるりと震
*** 街灯の下で氷室と久しぶりに並んで座り、胸の奥が熱くなる。ふたり揃ってその雰囲気を噛みしめるせいか、沈黙がしばし続いた。 だけど胸の奥で抑えきれない言葉が、ついに零れ落ちる。「……蓮、もう俺を置いていかないでほしい」 自分でも驚くほど声が震えたことが、とても情けないとわかっている。それでも、言わずにはいられなかった。 氷室はすぐには答えず、じっと俺を見つめる。その視線は鋭いのに、不思議と逃げ場を与えてくれるようでもあった。「わかった。俺が必ず君を守る。これからは一緒に行動しよう」 その言葉が耳に届いた瞬間、胸の奥で張り詰めていたなにかが切れた。安堵と覚悟が同時に押し寄せ、喉が熱くなる。 ――そのとき、公園の入口から足音がした。夜気を切り裂くような硬い靴音。俺と氷室が同時に視線を向けると、街灯に二つの影が伸びた。 加藤くん。そして、その隣にいたのは健ちゃん。見慣れたはずの姿なのに、街灯に照らされたその瞳は冷たく、どこか別人みたいに見える。 逃げ場はない、正面からの対峙。氷室は音もなくベンチから腰を上げて、俺の前に出る。「神崎と加藤……来たな」 加藤くんが意味深な笑みを浮かべ、隣の男――健ちゃんが一歩前に出る。その目が、まっすぐに俺たちを射抜いた。「やっと揃ったな。奏、そして氷室。奏にメッセージを送れば、おまえたちが合流することなんて、最初から計算済みだ」 空気が一気に張り詰める。鼓動が耳にうるさいほど響くのに、不思議と怖さはなかった。俺は立ち上がって、氷室の隣に並んだ。それだけで、俺は逃げないと決めることができた。 次の瞬間、氷室が小さく息を吐き、大きな声で口を開く。「ここで決着をつける!」 街灯の下、四人の影が交錯し、静かな夜が一気に緊迫の舞台へと変わっていった。 健ちゃんの視線は俺を射抜いたまま、まったく動かない。心の奥を暴かれるような冷たい眼差しに、背筋が震えそうになる。加藤くんは健ちゃんの隣でニヤリと笑い、わざとらしく肩を竦めてみせた。「なあ奏。おまえは本当に、氷室と一緒にいて大丈夫か? あいつは君を“守る”なんて言ってるけど、氷室は自己防衛の強い男だからな。いざとなれば、おまえを切り捨てるぞ」 胸が大きく波打つ。それは図星を突かれた痛みに似ていた。俺が答える前に、加藤くんがどこか楽しげに喋りだした。「そうだよ
*** 氷室から「しばらく距離を置く」と言われてから、気づけば数日が立っていた。その間、本当に距離を置かれている。 教室で目が合うこともなければ、廊下ですれ違っても声をかけられない。連絡だって、必要最低限の短文だけ。氷室は本気で、俺を作戦の外に置いている状態を貫いた。 理由はわかっている。それは危険だから――そう言われれば、頷くしかない。でも、本当にそれだけなのか。俺が足を引っ張ると思われたからじゃないか。そんな考えが、ふとした瞬間に胸を締めつける。(……本当に、このままでいいのかな) 昼休みも放課後も、やるべきことが見つからない。机に向かっても、ノートの文字は頭に入らない。なにもしないまま時間だけが刻々と過ぎて、氷室が今現在なにをしているのかもわからない。 彼が無茶をしていないか――そう考えると、胸の奥がじわじわと熱くなる。けれど連絡を入れたら、それこそ作戦の邪魔になるかもしれない。 結局、俺はなにもできずにスマホを握りしめるだけだった。(やっぱり俺、またなにもしてない――) そんな自分が、情けなくて仕方がなかった。氷室の隣に立つ資格が、どんどん遠のいていく気がして。 放課後の昇降口から見える窓の外では、今日も夕陽が傾いていく。オレンジ色の光は温かいはずなのに、今の俺にはただ、遠くて触れられない色に見えた。 薄暗い中、自宅まであと少しというそのとき、ポケットのスマホが震えた。画面に浮かんだ通知――それは知らない番号からのメッセージだった。『……君は一人か?』 それを目にした瞬間、背筋がぞわっとした。その短い文字列のあと、数秒だけ入力中の「……」が表示された。次の言葉が来るのを待つだけで、背中を氷柱でなぞられるように冷える。(誰が送ってきてるんだろう? なんで俺を知っている?) 氷室には言われている。「危険だから、距離を置け」と。けれど、危険のほうから俺に近づいてくるなら――。 握りしめたスマホが、手のひらで熱を帯びる。深呼吸を繰り返して落ち着きながら、見知らぬ番号から届いたメッセージを何度も見返す。『……君は一人か?』その短い文字列が、喉を締めつけるように重かった。(……どうする。俺ひとりで……? いや、これは――氷室に知らせるべき問題になる) 迷っている時間はなかった。俺は震える指でスクリーンショットを撮り、そのまま氷室に
加藤の追跡を断念して自宅に帰り、自室に引きこもった。机の上に並んだノートとペン、そしてスマホ。窓の外はすっかり夜になっている。時計の針は十一時を回っていたが、眠気は一切ない。 加藤と喋っていた身に覚えのない男の横顔が、何度も浮かんでは消える。(あれは……どこかで見たのだろうか?) 目をつぶって、記憶の引き出しをひとつずつ開ける。文化祭の人混み、部活動の合同会議、駅前のバス停――断片はどれも繋がらず、焦燥だけが否応なしに募っていく。 俺はノートの左端に「条件」を書き出した。 ・背が高い(加藤と同じか、少し上) ・白いシャツ、癖のない立ち姿 ・左手人差し指に細いリング(光の反射で見えた) ・加藤と自然に会話 → 初対面ではない ・奏の名前を口にしていた 右側には「候補」を列挙する。まず、生徒会関係者。だが条件に合う者はいない。次に、奏や加藤と関わりのあった他学年。数人該当したが、リングの条件で外れる。(やはり……有朋学園の外になるか) そう仮定を立てながら、スマホでSNSを開く。加藤のフォロー欄を遡り、顔写真や集合写真を一枚ずつ丁寧に確認していく。表情や服装は違っても、立ち姿や手の癖までは隠せない。 五十件ほど流したところで、心臓が一瞬跳ねた。海辺で撮られた集合写真。中央に立つ背の高い人物――その左手人差し指に、あの細いリングが嵌められている。(……いた!) 名前はハンドルネームだけ。タグには「K」とある。ノートに大きく「K」と記し、赤丸で囲んだ。今日見た輪郭と、写真の姿がピッタリ重なる。もう疑う余地はない。(こいつが――“裏”だ) それでも、声に出すのを躊躇った。今ここで奏に知らせるべきか。だが、根拠はまだ薄い。間違いなく危険を伴うせいで、奏を巻き込みたくはない。 その逡巡が、胸の奥に重く沈んでいった。 窓の外で、犬の鳴き声が遠くに響いた。それを合図のように、ノートを閉じる。(明日からの動きは、この“K”を中心に回る。……必ず、奏の周りから引きはがす) 部屋の明かりを落とした瞬間、机の上のスマホが点滅した。通知のアイコンは、すぐに消える。(誰かに……見られているのか?) 咄嗟に思いついただけで、胸の奥に冷たいざわめきが広がった。暗闇の中で、赤丸で囲まれた“K”だけが、不気味に光って見えた。*** 翌日の放課
図書室を出る加藤と奏の背を、少し距離を取って追った。 奏が振り返る素振りはない。きっと今も、加藤との会話を装いながら、警戒を解いてはいないはずだ。 校舎を抜け、夕焼けに染まった渡り廊下を通る。あのあと奏と分かれた加藤は一定の速さで歩き、決して急がない。だが時折、ポケットの中で指を僅かに動かす――図書室でも見た、あの癖だった。(通信か……それとも無意識の合図か) 加藤はそのままグラウンド脇を抜けると、人気の少ない裏門へ向かった。部活帰りの生徒がちらほら通る程度で、視線を逸らしていればヤツは目立たない存在になる。 適度な距離をとって尾行しているが、加藤は一切振り返らない。尾行を警戒している様子も見せない。 裏門から出て、住宅街の細い路地に入る。通学路から外れたこの道は、夕方でも人通りが少ない。 ――こういう道を選んだのは、偶然ではないだろう。 俺は曲がり角で足を止め、わざと一拍置いてから追いかける。角を曲がった瞬間、視界の先に加藤の姿はなかった。(……やるな) 足音を殺して、周囲を探る。すぐにわかった。右手の駐車場の影――そこに加藤が立っていた。 加藤はポケットからスマホを取り出し、誰かと会話していた。その表情は、図書室で見せた柔らかい笑みなど欠片もなく、冷たく研ぎ澄まされている。「……了解。次の指示は?」 低く抑えた声。無駄がなく、従順な兵士のような響きを耳が捉えた。相手の声は聞こえない。だが、加藤の頷き方には、慣れた服従の色があった。(……やはり、“裏”がいる) やがて加藤はふたたび歩き出し、雑踏に紛れながらビルの影へと消える。その直前に、ポケットの中で指を二度叩いた。小さな仕草にすぎない。だがそれは、ただの癖ではなく――明確な「合図」だった。 ビルの隙間は夕方だからこそ薄暗い。外のざわめきが急速に遠のき、足音すら吸い込まれていく。 その奥に立っていたのは、白シャツ姿の人物。逆光に隠れた顔ははっきりしないが、立ち姿には奇妙な既視感があった。 加藤がその人物に近づき、声を潜める。「……計画……予定どおり」 「……奏……監視は……」 断片的な単語だけで、全身の血が凍る。 白シャツの人物が小さく笑い、加藤の合図に応じるように一歩前へ出る。光に微かに浮かんだ輪郭――短く整えられた髪に細い顎。(……コイツは、いったいどこの誰だ
*** 図書室の奥、窓際の席。加藤と奏が向かい合って座っているのを確認し、俺は真正面には行かず、三列ほど離れた通路側の席に腰を下ろした。 距離は話し声が届くか届かないか、ぎりぎりのライン。視線は手元の本に落とす。だが、ページの隙間から二人の姿をしっかり捉えた。 奏は笑い、ときに少し困ったような顔をしながら、積極的に会話に応じる。加藤はその変化をひとつも取りこぼすまいと、正面から見据えていた。(……やはり、いつもどおりだ) 一見、先輩と後輩のただの雑談。しかし加藤の間合いの取り方や、何気なく差し込む「もっと話したい」という空気――そのすべてが相手の警戒心を解きつつ、距離を詰めるための動きに俺には見えた。 図書室に入ったとき、加藤とは一瞬だけ目が合っている。俺の存在には気づいているはずなのに、一度も視線を寄こさない。まるで、最初から俺など存在しないかのように。(――裏がいるとしても、ここでは匂わせないか) 自然体を装い、奏だけに集中する加藤の姿。1年のクセに、装うにしては完成度が高すぎる。あまりに「自然」すぎて、不自然さが際立つ――そう思わせるほどに。 奏の笑顔が、加藤の目にゆっくりと映り込んでいく。その瞬間、なにかを計測するような静かな満足が彼の表情にハッキリと滲んだ。 ほんの一瞬、胸がざわつく。――奏を取られるなどという感情を、俺は必死に押し殺した。 ページを閉じても、耳は二人の会話を拾い続ける。加藤の声は落ち着き、時折ほんの少しだけ甘さを帯びる。そのたびに奏は微妙な間を置いて、戸惑いを含んだ返事を返す――それは完全な拒絶ではない。(……奏も気づいているはずだ。コイツがただの“後輩”じゃないことに) しかし加藤は、一歩も踏み込みすぎない。まるで「焦るな」と誰かに命じられているように、完璧な距離を保ち続ける。慎重さが逆に、背後の存在の濃さを物語っていた。 その後も監視を続けていると、机の上で加藤の指が一定のリズムを刻む。無意識のようでいて、どこか訓練めいた規則性を感じさせる動きだった。しかも時々ポケットの中に指先を潜らせ、なにかを押すような小さな動きがあった。クセにしては、あまりにも間隔が正確だった。(もしかして……今この瞬間、誰かと繋がっているのか?) 引っかかりを胸の奥に沈める。(――直接揺さぶるのは、まだ早い。泳がせる価値はあ







